介護業界に蔓延るブラック施設…手取り13万円の介護士が転職の末に辿りついた結末とは?

労働環境が非常に悪く、給料も低い、そして将来もない。

いわゆる「ブラック企業」という言葉はネット言語の枠を超え、社会的にも広く認知されるようになり、ニュース番組でも当然のように使われることが増えてきた。

少しずつではあるが、社会全体がブラック企業を根絶しようと動き始めた気がする。

しかし元々給料が安く、きつい仕事として知られる介護業界では、ブラック企業が無くなる日はまだまだ遠い。

他の業種では考えられない過酷な環境で働く介護職は多くいる。

サービス残業、パワハラ、不都合な事実の隠ぺい…。

今回はそんな介護業界でもトップクラスのブラック施設で働いた、一人の女性の記録を紹介する。

彼女がどんな仕事をしていて、どのようにして転職を決意したのか―。

介護業界のリアルな転職状況を、ぜひ一人でも多くの人に知っていただきたい。

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介護の専門学校で「介護福祉士」の資格を取得していたAさん

Aさんは高校卒業後、介護福祉士養成学校へ通い「介護福祉士」の資格を取得した。

「介護福祉士」といえば、介護の専門的な知識・技術を持ったことを証明する国家資格で、介護職員全体の30%程度しか保有していない。

つまりAさんは無資格の介護職の方と比べて、より良い待遇で働ける状況だったのだ。

それでは介護福祉士の資格を取得したAさんは、どんな施設で働くことになったのか。過酷すぎる労働環境を紹介していこう。

2人で60名の排泄介助をしなければならない

私は介護の専門学校を卒業してある特養に就職をしました。

※(特養=特別養護老人ホーム:公的に運営される介護施設)

そこは従来型の特養であり、入居者が120名、1階と2階でそれぞれ60名ずつの利用者さんが住んでいました。

私はそこの1階で介護職として働くことになりました。

特養は人員配置基準というものが決められており、介護職1名に対して入居者が3名までと決められています。

しかし私がいた施設では。早出や遅出も合してもわずか6名の介護職しかいませんでした。

60名の利用者に対して6名の介護職、1人の介護職で10人の利用者をケアしなければなりませんでした。

これでは、満足な介護もできません。

おむつ交換・入居介助・食事介助など、常に目前の業務に追われていました

入浴は一人5分しか確保できず、一日に20人の利用者をお風呂に入れなければなりません。

排せつ介助では60人分のオムツを2人の介護職で交換していました。

だんだんと工場で流れ作業をしているような気持になり、ケアとはかけ離れた状態だったと思います。

職員の負担も大きく、次々に体を壊しては退職していくような環境でした。

後々発覚するのですが、この施設では介護職を足りているように見せるために、事務員を介護職として登録をしているなどのねつ造をおこなっていました。

実質的な休みは月に3日~4日、研修で潰れることも

介護職の夜勤は2交代と3交代の夜勤があります。

【3交代の例】

日勤 8:00~17:00
準夜勤 17:00~24:00
新夜勤 24:00~8:00

【2交代の例】

日勤 8:00~17:00
夜勤 17:00~翌8:00

3交代の場合は1日を3分割し、それぞれ同じぐらいの時間働きます。

2交代の場合、夜勤は日勤の2倍の時間働くイメージです。

2交代自体は違法ではなく、夜勤が終わった日は一日勤務扱いとなり、朝から丸一日はオフで翌日も休日となります。

しかし私が働いていた施設では、2交代勤務にかかわらず、夜勤が終わった日のみが休み扱いで、翌日には出勤しなければなりませんでした。

夜勤は月に4回~5回あります。

月の休みが8日と決められていたので、一日休みが取れる日は月に3日~4日でした。

夜勤が終わった日は昼前に自宅に帰り、そこから寝て、夕方に起きて翌日も仕事のため夜には寝て翌朝出勤をするような生活を繰り返していました。

どこにも行けず、遊ぶ予定も作れませんので非常にストレスが溜まる生活をしていたと思います。

研修も多かったので、完全な休日は研修で潰れてしまったり、施設で行事があれば休日出勤も当たり前でした。

これだけ働いても給料が安い

これでも正当な給料を貰っていればまだ頑張れますが、私が働いていたのは超ブラック企業なので、給料も安かったです。

施設で働く介護士の平均的な月給は、22万円ほどといわれており、都会などに行くとさらに高くになります。

しかし私が得ていた給料は手取りで13万円。

介護福祉士の資格を持っていて、さらに夜勤もしてこの金額です。

基本給 8万円
資格手当 5000円
夜勤手当 3万円
調整手当 1万5000円
残業手当 2万円
合計 13万円

内訳は基本給は8万円、資格手当が5千円、夜勤手当が3万円、調整手当が1万5千円、残業手当が2万円となります。

資格手当は介護福祉士が5千円で、ケアマネジャーが7千円、それ以外の初任者研修や実務者研修(当時はヘルパー2級、1級)には、手当は一切ありません。

夜勤手当は1回あたり5千円であり、月に多い時は6回ほどしていましたので3万円です。

調整手当は遅出や早出、土日も関係なく働いていましたのでその分の支給と聞きました。

給料が13万円では、一人暮らしをすることが出来ません。

私は実家から出ることができませんでした。

ボーナスは1年で4か月分あり、これに関しては他の企業と比べて多いとは思いましたが、基本給が低いので支給額は低かったです。

基本給が8万円ですので4カ月分と言っても32万円しかありません。

当時の年収は200万円もいっていませんでした。

会議が頻繁に行われる

私の働いていた施設では、会議の数が非常に多かったように思います。

会議は仕事が終わる時間帯から始まり、もちろん残業代は出ません。

毎回必ず施設長が出席をして、会議の終わりには彼の持論を従業員に伝えるのが恒例でした。

施設長の独壇場という感じで、話合う場というよりも講演を聞いている感じでした。

当時の職場は施設長が絶対的な権力を持っており、彼が言えば黒でも白になる状態でした。

また、事故を起こしてしまった職員は、会議の場でなぜ事故を起こしたのか、どういう対策をとるのかなどを大声で発表をする習慣があります。

つるし上げです。

そのため一時期は事故が起きても報告をしなくなり、本末転倒な状況に陥っていました。

ブラック企業に洗脳されてしまう恐怖

最初はおかしいと思っていたことが、慣れてくると徐々におかしいと思わなくなくなりそれが当たり前のように思ってしまいます。

職員が少ないのも当たり前。

給料が安いのも当たり前。

休みが少ないのも当たり前。

会議の場で自分のミスを大声で発表をしないといけないものも、全てが当たり前のように思っていました。

そのため、新人が来て異論を言ってきても「それがここのやり方だから」と答えるしかなく、改善をしていこうという気持ちは、いつの間にかなくなっていました。

これがブラック企業で働く怖さだと思います。

どう考えてもおかしいと思うことも、それをおかしいと考えることをしなくなります。

たぶん自分が働いている会社が、ブラックであることを認めたくなかったんだと思います。

私が働いていた施設は疑問を持って1か月も経たずに辞めてしまう方、疑問を持たずに5年以上働いている方、勤務年数が短い方と長い方で極端に分かれていました。

人生の転機は突然訪れる

いつも通り働いていると突然施設長から呼び出しを受けました。

1人で施設長からの呼び出しはほとんどなかったので、若干緊張しながら施設長室に入ると、施設長と見慣れないスーツを着た方が2名ほど座っていました。

施設長は開口一番「〇〇さん、私は残業を強要していないよな?」と聞いてきました。

会話の流れで分かりましたが、スーツを着た方は労働監督署の方だったのです。

私はその場では施設長に言われるがまま頷きましたが、後から監督署の方を見つけて真相を話しました。

「私たちは指導をするだけの立場なので強制力はありませんが…」

と言われましたが、しっかりと事情を聴いてもらいました。

あとから知ったのですが、施設長は当日出勤をしている職員全てを施設長室に呼び出し、自分に否がないことを確認したそうです。

私はその場では施設長に言われるがままでしたが、不満を持っている数名からははっきりと文句を言われてしまったそうです。

そこからは激動の日々でした。労働監督署からの指導通告、退職した職員からのパワハラについての訴訟、極めつけは介護指導課からの監査が入ったからです。

介護職員の人数を足りないにも関わらず、事務職を介護職として申請をしていたことがバレてしまっったのです。

監査では出るわ出るわの不正の嵐で、多額の返還金を迫られたと聞きます。

特養ですので潰れることはないと思いましたが、恐らく減給やボーナスカットが行われ、このままでは私の生活が危うい危機感を感じ、その時期から転職活動をしました。

転職活動は知り合いからの紹介で決定

私は今よりも良い職場を見つけることを目標に転職活動をしました。

そのため、いくつかのポイントを決めて探していました。

私の優先順位としてはまずは給料の多さです。

給料は最低でも18万円はほしいと考えていました。

次に休みの多さです。月に8日は完全な休養日が欲しかったです。

求人サイトや求人広告でも探しましたが、あまり良いところはなく、実際働いてみないとわからないことが多々ありました。

しかし、一度働くと中々やめれないのでは?というトラウマもあり、なかなか転職先を見つけることができませんでした。

また、面接を受けても求人に記載されていた条件と違ったり、高圧的な程度を取られてたりすることもあり、私の転職活動は難航していました。

そこで介護で働いている知り合いに相談をして、転職先のアドバイスをもらうことにしました。

すると知り合いの人が「ちょうど施設で求人を出すところだったから一度面接だけでも受けてみない?」と言ってくれたのです。

私はとりあえずどんなところなのか、面接を受けることにしました。

そこは有料老人ホームと呼ばれる形態の施設で、有名企業の子会社が運営している施設でした。

入居金が数億円するようないわゆる超高級有料老人ホームだったのです。

面接の際に提示された条件も非常に良く、施設見学をして職員の方も非常に親切でしたので、その場で働きたい意思を示しました。

数週間後正式に採用するという連絡が来て、私の転職活動は無事に終わることになりました。

ホワイト企業への転職

ホワイト企業で働けるようになり、私の人生は一変しました。

まずは給料です。

私は介護職として7年の経験があり、介護福祉士とケアマネジャーの資格を取得していました。

その結果、基本給は22万円、資格手当が1万5千円、食事手当が1万円、夜勤手当は3万5千円で合計27万円もらえるようになりました。

基本給 22万円
資格手当 1万5000円
食事手当 1万円
夜勤手当 3万5000円
合計 27万円

また、ボーナスは4.5か月分あり、年間400万円近い年収になりました。

以前の給料と比べて約10万円の給料アップ、年収に関しては倍以上になりました。

転職先の施設では高い給料を支払う代わりに、質の高い仕事が求められました。

しかし元々介護の仕事が好きで、キャリアアップ志向の強かった私にとっては、やりがいを感じる充実した日々を送れています。

何より利用者とコミュニケーションを取れる時間が確保されたのがありがたかったです。

人間を相手にしているんだと、今の職場に来て再認識することができました。

休みも月に9回~10回、もちろん夜勤明けは仕事扱いで翌日が完全な公休です。

さらに有給は初年度から20日間付与されて、ほぼ全日消化することができました。

転職をして未来を考える余裕が生まれた

以前は休みも少なく、給料も少なかったですので、たまの休みと言っても家でYouTubeを見るぐらいしか、娯楽がありませんでした。

しかし、今では給料も多く、休みも多いのでプライベートが充実しています。

定期的に休みが取れるようになったので、通信で社会福祉士の学校に通い始めることもできました。

休みの日に課題をこなして、年間数日間の通学には有休を使って通っています。

学費は高かったのですのが、金銭面に余裕が出来ていたので問題なく支払うことが出来ました。

今後のキャリアを考える時間を作れるようになったのも、転職してよかったことだと思います。

これが以前の職場だと、まず学費が支払えませんし、支払ったとしても恐らく勉強はできていなかったかと思います。

以前の職場のように月4回~5回の休み、その休みでさえも会議や行事の時にはでないといけなくて、仕事漬けの生活をしていました。給料も余裕がなかったのですのでせっかくの休みもどこも行くことが出来ませんでした。

しかし、現在では休みの日には遊びに行ったりして気分を切り替えることが出来ます。

旅行も頻繁に行けるようになりました。

休みの日が充実していると、その分仕事も頑張ろうと思えるんだと、社会人8年目にしてようやく体で実感することができました。

ブラック施設で働いている方へ

もし現在ブラックなところで働いている方は、今すぐ転職をしてください。

私は、もっと早くに転職を決意していけばよかったと、今でも後悔しています。

幸い介護業界は求人が非常に多いので、ある程度年齢を重ねていても問題はありません。

仕事はあくまで人生を充実させるためのものであり、仕事に人生をつぶされてしまっては意味がありません。

「ここで無理なら他の施設でも通用しない」

「どの施設でも同じだから」

こんな言葉には、絶対に騙されないでください!

介護業界でブラック企業がなくならない理由

Aさんの話を聞いて一番恐ろしいと感じたのが、ブラック企業からの洗脳だ。

「最初はおかしいと思っていたことが、慣れてくると徐々におかしいと思わなくなくなりそれが当たり前のように思ってしまいます。」

こう語ったAさんの表情は、あの頃を思い出したのか青ざめていた。

ブラック企業は、働く人がいなくなれば、自然に淘汰されていく。

しかしブラックで働いていることを、本人が自覚しなければ、”転職”という選択肢は生まれない。

国が規制を強め、ブラック企業を取り締まろうとしても、結果が出るにはまだまだ時間がかかる。

結局は個人個人がブラック企業を正しく認識し、違法な企業で働かないという選択をしなければならない。

決してブラック企業で働いている人は「可哀想な人たち」ではない。違法な集団を存続させる構成員といってもいいかもしれない。

そんな風潮が世間に広まらなければ、ブラック企業を介護業界から根絶するのは、何十年も先の話になってしまうだろう。